2012年3月18日日曜日

新・くま川ハウス(3代目)オープニングイベント

新・くま川ハウス(3代目)オープニングイベント

ごあいさつ

 1993年8月に「手渡す会」を創設して早20年。私たちの活動の拠点であります「くま川ハウス」を南泉田町に移転することにしました。中川原にあった初代ハウス(1994年~99年9月)、九日町札辻の2代目ハウス(99年10月~現在)に続く、3代目の「くま川ハウス」です。新しいくま川ハウスのお披露目を兼ねて、オープニングイベントを下記のとおり開催します。同時に、手渡す会の総会、オープニングパーティーを行います。ぜひご参加ください。
  ●とき 4月16日(月)午後6時
 ●場所 (新)くま川ハウス
    人吉市南泉田町25-2番地  電話0966-24-9929
 ●内容 手渡す会・総会
      全記録・手渡す会の20年スライド上映
      オープニングパーティー ほか
 ●会費 1000円 ※食べ物飲み物持ち込み大歓迎



◆くま川ハウス3回目の移転にあたって
      清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会 緒方俊一郎

 手渡す会が発足して20年も経過したことは、驚くべきことです。20数年前にJR湯前線廃止が地域の大きな問題となりました。沿線の自治体も存続運動をしましたが、民間でも存続が大きな願いで、地域の識者や住民が集まって作られたのが「球磨川共和国」でした。池井良暢先生が中心となり、パロディーで作られた共和国でした。池井大統領の下、賛同して税金(会費)を払った者は「国民」とされ、湯前線存続の運動を繰り広げたものでした。池井大統領は毎回自作の山高帽に燕尾服といういでたちで国会に登壇され、その甲斐あって湯前線は「くま川鉄道」として存続することになりました。無事目的を達成した後、組織を残すことが決まりました。
   存続した組織の運動テーマとして川辺川ダム問題が取り上げられ、「手渡す会」が発足し、初代会長に池井良暢さんが選ばれました。ダム反対運動については、室原さんの下筌松原ダム闘争でさえ困難であったし、国家権力に立ち向かって果たして国に対してダム計画を撤回させることができるのか、全く予想もできませんでした。私自身も水俣病などの経過から、国の態度を変えさせることは至難なことと思いました。
 ダムについては多くの問題があるので、その勉強から始めようということで、人吉市内の公民館などを借りて学習会を行いました。そのうち、運動していくには拠点が必要であるということで、いろいろ探した末に中川原が選ばれたことはこの「かわうそ」に記載されている通りです。
 その後、20年にわたって多難な運動が根気よく続けられ、その歴史についてはご承知のとおりです。地元のみなさんがしっかり頑張る一方で、外国からまで多くの方が手渡す会に参加された結果、今日の状況が生み出され、現在は川辺川ダム計画の進行が止まっていることはご承知のとおりです。さらに荒瀬ダム撤去や五木ダム建設も中止されました。
 第2代目の札の辻の球磨川ハウスも長い歴史の中で、数々の実績や思い出を残してその役目を果たしました。ダムが完全に止まったわけではありませんが、今後は第3代目の球磨川ハウスを拠点に、ダムによらない地域づくりを実現しなければならないと思います。たくさんのツワモノ、戦士たちがこのハウスに集いました。思い出してみると様々なことが脳裏に浮かびます。札の辻の球磨川ハウスにねぎらいを、そしてそこに集い、すでに故人となられた多くの方々にお礼と感謝をささげます。長い間ありがとうございました。
手渡す会初代会長 池井良暢さん

2000年ごろの2代目くまがわハウス