2010年1月14日木曜日

【特集】追悼・松本幡郎先生

(特集)追悼・松本幡郎先生
   ※会報かわうそ44号に同封したものです



◆松本幡郎先生の記憶

   清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会 会長 緒方俊一郎

 松本幡郎先生の訃報に接し、驚きと共に大変残念な思いをしました。先生との思い出の初めは、人吉市での講演の後、私のうちにお泊りいただいたときのことです。先生のお話を、私ども夫婦は明け方まで眠い目をこすりながらも大変興味深く伺ったものでした。川辺川ダム予定地の地質について、熊本大学の助教授時代に建設省の依頼でダムサイトの地質を試掘坑の奥まで入って調査され、大変危険であることを報告したこと。しかし建設省の役人が、そのことを理解しないばかりか、礼儀をわきまえずに無礼な態度をとることに対して叱りつけて、彼らに言葉遣いから教えたこと。子供の頃、地質学者のお父様に連れられて阿蘇の赤い火が燃える火口を視察に行ったことなど、さまざまな話を聞かせていただきました。中でも阿蘇の地質について、天皇に親子2代にわたって御進講されたことをお聞きし驚いたものでした。

 松本幡郎先生は、お父様の後を継いで東北大学理学部を卒業され同じ地質学者となられ、火山研究では世界的な第一人者で、熊本市博物館協議会長など数多くの公職も勤められました。熱い心を持ち、終生青年のような進取の精神をもち続けられた方でした。川辺川ダム反対運動にご縁があって、晩年目が悪くなられても手渡す会の集会や新年会などには必ず参加され、若い会員との議論に参加されました。私達も先生がおいでになることを楽しみにしていました。一方で奥様を大変愛しておられ、また自慢にもなさって時々話の合間に出しておられましたので、先生ご夫婦の間柄は素晴らしいものだといつも思っていました。

 清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会の名誉会長をお願いし、快くお引き受けくださいました。先生からお聞きしたことは、先生の長年のご研究に基づいた大変素晴らしいものでありましたが、もっともっとお聞きしておけばよかったと残念な思いです。このたびの選挙で政権が交代し、新しい国土交通大臣が川辺川ダム建設中止を公表しました。そのことを直接先生のお耳に入れることが出来なかったことは残念ですが、幡郎先生のおかげで多くの先輩や仲間たちの思いが、もう一歩で実現するところまでたどり着きました。これも先生の科学に裏打ちされたご指導によるものです。先生、長い間のご指導有難うございました。 第1回現地調査のあと、人吉市内をパレードする松本先生、緒方俊一郎さんら     1997.8.31 緒方撮影

◆奄美の海に横当島という小さな火山島があります

                    木本雅己 

 「奄美の海に横当島という小さな火山島があります。川辺川ダム問題が解決したら、会の皆でそこに遊びに行きましょう。」タバコをくゆらせながら先生がそういわれてから、もう十年以上の年月が過ぎました。当時、川辺川ダム問題は混迷の度を深めており、解決の時がいつになるのやら、会の誰もが想像すらできませんでしたが、それから幾星霜、今日県民の多くがダム計画終焉の日がまじかであることを確信しています。もしも、その日に先生がおられるとしたら、皆で島行きの計画など話しながら、喜びに満ちたひと時をすごすことができるでしょうに。ダム反対の運動に大いなる力を奮われた先生とともにその日を喜べないことが残念でなりません。

 川辺川ダム予定地周辺の地質について、先生は「川辺川ダムの地学的問題」という冊子にその見解をまとめられています。これに対し当時の建設省は一言の反論も加えることができなかったことが、痛快な思い出として残っています。また国道445号線の瀬目トンネルのクラック発生についても、入念な調査をなされ、同トンネルが深刻な状況であることを指摘されました。結果として、国、県共同の「瀬目トンネル検討委員会」が設置され、改善に向けての事業が始まっています。

 先生は手渡す会の会合に出席されるのを楽しみにされていて、2ヶ月に一度くらいの割合で参加されていました。目と足が不自由になられてもひとりで電車で来られていました。いろんな肩書きをもたれていましたけれど、この会の名誉会長というのが一番いいなあと、よく笑っておられました。 松本先生、ありがとうございました。           松本先生と木本さん 大山次郎さん撮影

◆松本幡郎先生の思いで     

                           大山次郎

  先生と初めてお会いしたのは、1996(平成8)年2月16日の夜でした。場所は人吉旅館で、私以外にも何人かの人がいました。翌日、五木村に行くことが決まりました。同行したのは原さんと木本さんだったと思います。頭地の五木東小学校の入口角に小さい旅館がありました。女将さんが懐かしそうに先生のお顔を見ておられました。朝から雨が降っていました。女将さんが石油ストーブに火をいれて、お茶を淹れてくれました。この時の状況を見ていて、私は先生の人柄を半分は理解したつもりです。先生が「ここの女将の天気予報は当たるんだ」と言われました。女将さん、北の遠い灰色の空をじっと見ていました。女将さんが言いました「昼から雨はあがるかもしれない」。ほんとに昼から雨があがりました。宮園の先、工事現場でパイプで組み立てた階段を先生はさっさと登る、その速いこと驚きました。雨で滑る階段を恐る恐る下を見ないように私は上がりました。

 先生といろんな所に行きましたが、北海道大学地質学名誉教授の八木健三先生が五木村に来られたとき、お二人の先生の会話の中に、たえずサンドストーンがでてきます。これだけは覚えとかないかんと思い、サンドストーンは砂岩で、ライムストーンは石灰岩であることを頭の中にいれました。建設省が出している「川辺川ダム事業について」というパンフレットの中のダムサイトの地質については、われわれ素人には一言の意見さえ言える立場ではありません。しかし、松本先生が建設省の資料を基に調べていただいた結果、ここの岩石については強いけれども、山そのものからして、ここにアーチ型のダムを作ることは構造的に問題であり危険でさえある。これに対して建設省は正面きって反論ができませんでした。ダム反対をするわれわれにとって、これ以上の理論的にも科学的にも確信をえたものはありません。それからのわれわれの運動は大きく前進したのです。