NO.1
発行:清流球磨川・川辺川を未来に手渡す
流域郡市民の会 会長 池井 良暢
1993年8月20日発行
◆流域郡市民の会いよいよスタート!
去る8月8日(日)14時より、人吉市青井神社「参集殿]におきまして、「清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会発会式」が行われた。
開会の後、発起人代表の池井良暢さん(くまがわ共和国大統領、元中学校校長・多良木町)が発会に当たって挨拶。つづいて、西清説さん(元人吉市議会議員、人吉市)が祝辞を述べられ、前田明美さん(多良木中学校事務職員、人吉市)より「祝詞・祝電]が披露された。全国各地からいただいた祝詞・祝電18通は以下の通りである(敬称略)。
◆野田知佑(カヌーイスト、エッセイスト、清流球磨川・川辺川を未来に手渡す会代表)
◆中川典子(くまもとWATERネットワーク事務局)
◆松本悟(福岡市・博多湾の豊かな自然を未に伝える市民の会・和白干潟を守る会会員)
◆嶋津暉之(東京の水を考える会)
◆坂原辰男(田中正造大学)
◆高橋恵子(東京・金的浄水場の水をおいしくする会)
◆岡田一慶(神奈川・相槙川キャンプインシンポジウム代表)
◆かながわ水・環境問題を考える会
◆篠田健三(神奈川・宮ケ瀬ダム問題を考える県民の会)
◆矢山有作(岡山・ストップザ苫旧ダムの会)
◆酒井輿部(福井・足羽川ダム阻止全国地権者同盟)
◆カモカワマコト(日本野鳥の会長崎県支部長)
◆オガタイイチロウ(産業廃棄物を考える熊本連絡会)
◆串山弘助大統領他3名(八代・河童共和国)
◆明翫勇一郎(神奈川・川と海の環境を守る会会長)
◆球磨焼酎をこよなく愛し、球磨川・川辺川を守る東京の会)
◆三輪春男(長良川水系・木を守る会)
◆倉重紀嗣(神奈川県藤沢市・「川を下る緑」代表)
手渡す会の発会式(1993年8月8日 人吉市青井神社)
右端が池井会長、一人おいて高場英二さん、吉村勝徳さん、福岡賢正さん
次に、青木栄さん(球磨工業高校教諭、錦町)より「経過報告」がなされた。
そして、重松隆敏さん(元人吉市議会議員、北泉田町町内会長、人吉)より延々1時間にわたって詳細に「基調提案」がなされた。「初めにダムありき」「崩壊したダム建設の目的」「水が濁れば万事休す」「自然との共存こそ最高の生き方」「五木の人たちへ訴える」という5点にわたり、過去の経緯をふまえた提案がなされた。
議事に入り、「会則」「役員体制」「当面する運動計画」について提案があり、それぞれ承認された。
挨拶する池井良暢会長、手前は重松隆敏事務局長
◆「清流を残せ」・・一熱いメッセージ!
次に3名の方から「意見発表」していただいた。アウトドアスポーツ(カヌー、マウンテンバイク等)に関心を持つ柳原哲郎君(人吉高校1年生)は、「僕達は夏といえばほとんどプールには行かず、川辺川で泳いでいる。子どもたちにとっても今のままの川辺川があるということはとてもいいこと。もし川辺川ダムができたら将来、僕達が大人になって自分達の子どもにどう説明すればいいのか。今を生きる僕達子どもに余り負担をかけないで欲しい」という要求が出された。
水上村・古屋敷小教諭の松本圭子さんは、「今私は、市房ダムから数km上流に住んでいます。先日、一ツ瀕ダム見学ツアーに参加してびっくりした。上流の村所は清流であったのが、ほんの数km下っただけで水の色が変わり始め、最後には真っ黒になってしまい、赤潮まで発生していた,インディアンの古くからの言い伝えには、木を切ったりするなど自然を変える際には『七世代先のことを考えて決める』ということがある。七世代先の子ども達のためになると思ったら実行するし、ためにならないと思ったらやめる、七世代先の子ども達のためになることは自分達のためにもなることだからやってもよいという考えをもっている。川辺川ダムができた場合、七世代先の子ども達のためになるのか、不安に思わざるを得ないし、今を生きる私たちが大きな責任を負っていることになる」と発言された。
最後に、川漁師の吉村勝徳さんは、魚道のことを中心に発言された。「球磨川下流に2つのダムができてから、それ以前に生息していたヨシノボリやウナギがなぜいなくなったのか。ダムを造るときに魚道を造らなかったからだと言われれば一言もないが、ところが魚道をできたからといって自由に魚が往来できたかと言えば甚だ疑問である。本来、魚道というのは上りも下りの使うものであるはずだが、今あるものは上るときのことは考えてあるが、下るときのことは考慮されていない。現在は、落差が5m以上の堰を道れば魚は上らないというのが定説。
球磨川・川辺川は、「魚ののぼりやすい川づくり」の指定を受けたが、たった年間1億円の予算で、財政的にも技術的にも何かできるというのだろうか。今の魚道では、上流へ上った魚が下るときのことは何も考えていない。ダム直下の激流を見ると、あの中に揉まれた魚がはたして何匹下まで無事たどり着けるか、疑問に思わざるを得ない。
去年は120万匹自然遡上した。今年は、80万匹しかない。毎晩シラスすくいをして、一人たったの100匹しかとれない(10匹とってやっと2g),なぜこんなに少ないのか?…それは、上流がだめになり下流に下る魚が少ないからであり、また河口に産卵するところ場所がなくなったからである。
市房ダムができる前は、川辺川なんか問題にならなかった。球磨川が鮎の中心であった。ところが今や球磨川の鮎なんて見向きもされない,球磨川の鮎のウルカはとても商品にできず、砂が入っていてジャリジャリしている。現在の川辺川は、濁っても1週間すれば奇麗に澄む。合流点から下流の球磨川は、川辺川の奇麗な水でうすめられるからなかなかその濁りに気づかないが、球磨川上流は15~20日間は濁りがとれない。市房ダムの濁り水の放流が原因だと断定してよい。また、川辺川にダムができ、市房・川辺川両方のダムから一緒に放流されればどうなるのか?先日(8月1日)の球磨村・坂本村・芦北町の水害も、もう少し市房ダムが放流を辛抱すれば起こらなかった。このような洪水のときに魚はどこにいるのか?‥・昔は、護岸工事などされていなかったので、流れの早い洪水のときでも岩場の陰などに捕まりじっとしていることができた。ところが今や、護岸工事の結果ツルツルになってしまい、つかまるところがないので下流へ流れて行ってしまう。今年はほとんど流されてしまっているので、今年の鮎は絶望であろう。
相良村四浦の大井手の堰…ここは鮎解禁の時期に鮎がたくさんたまるところである。それを上るために、ある高名な先生を呼び、意見を聞いたところ 「魚は雨どい一本あれば上る」と言われた。ところが結果はどうか?‥‥そのような魚道が今度また下流に造られようとしている」と、自分の長年の体験を元に迫力のある言葉で訴えられた。
意見発表する川漁師の吉村勝徳さん
◆ダムができて何にもいいことなし
その後、「スローガン採択」した後、閉会した。引き続き、先日訪れた宮崎県西都市杉安町の池水さんより、「一ツ瀬ダム下流域の現状」と題し、体験報告をしていただいた。 「杉安町は一ツ瀬川下流の町で、かつては”日向の嵐山”と言われるほど風光明媚なところであり、旅館もたくさんあり、造船・納涼バス・列車・キャンプ村等、さまざまな観光施設かおり、たいへん活気がある町であった。
ところが、S35年に工事着工された一ツ瀬ダムがS38年に完成してから状況は一変する。当初、”西日本一のアーチ式ダム”と宣伝され、国道219号線の付け替え道路もできる、補償金も入り、ダムブームという状況であり、濁水のことなどは当時夢にも思わなかった。しかし、ダム完成後最初の梅雨でさっそく濁水化してしまったのである。今年の大雨の影響で、一ツ瀬川は”これが川の水なのか”と思うほど、全く死んだ川になっており、田んぼの水のような状態になっている。余りにも濁りがひどいので、S40年に陳情がなされたが、濁りを解消することはほとんど不可能の状態であった。砂やバラズがなくなり、自然は大きく変わってしまった。ダムから冷たい水が放流されるため川の水温も下がり、今や川で泳ぐ子どもは一人もいない。鮎を放流しても、1週間から10日ほど遅れる。そのうち、観光客は来なくなり、過疎も始まり、鮎や清流に依存していた旅館はつぶれ、今一軒もない。大変さびしい町になってしまった。
このような問題は、地域住民が運動して阻止するしかない,私たちはもう手遅れである。濁り水解消のため運動をしても、改善がなされるまで10年かかる。陳情してやっとS49年に”選択取水装置”が設置されたが、濁りは解消できない。そしてやっと、今年の3月に取水口を5m下げた。一回造られてしまえば、改善させるのは大変である。
ダムができて何もいいことはない。”ダムができてよかったのは、造った本人ただ一人でしょう”と、地域の人はみんな言っている。このすばらしい環境を守るのも皆さんの力しかおりません。」
◆治水・利水どれをとってもダムはいらない
・・・かえってダムは危険!
最後に、記念講演として「再考川辺川ダム」を新聞連載された、毎日新聞記者の福岡賢正さんより、「川辺川ダムと人吉球磨の将来」と題して講演してもらった。
以下がその要点である‥
まず、「川辺川ダムの治水」について、今年大雨が降った8月1日の降水量のデータと過去の水害時のデータを比較しながらの話であった。
◆今年の雨は、10年に一度の大雨であった。しかし、人吉市の被害は過去に比べて被害が少なかった。S40年水害のときは、山はハゲ山が多く(植林の40%は幼齢林であった)、流出係数がかなり違ったためであろう。
◆今年8月1日の大雨の時、最も球磨川の水位が高かったのは、16時40分に3
m66cm。350t放水で人吉地点まで2時間かかったとして、14時40分頃の放水によるものである。14時40分時点での流入量が360t/秒、放水量352.34t/秒で、わずか8 t/秒しかカットてきていないこととなり、市房ダムはほとんど洪水調節には役立っていないことの証明になる。
◆川辺川ダムは計画によると、最大計画流大量を3520t/秒にしてある。これは、流域を長方形になっていると仮定し、流域全域に降った雨が同じ量・時間降っ
たと仮定して計算している。ところが、流域各地点の最大雨量は時間によってずれている。今年のように、何日もまとまった雨が続けば事前にかなりの量の流入があり、計画よりも早く満杯になることが予想され、結果として流入量以上の放水がなされることになり、一番肝心なときに洪水調節がてきないことになる。
次に、「川辺川ダムの利水事業]の問題点についてである。
◆現在相良村においては、川辺川の水をポンプアップして利用している。それを、ダムに貯めた水を利用に変えるということであるが、最も水が必要な時期(5~9月)は川辺川の水量も多く、十分賄える量あり、わざわざダムを造らなくても今ある取水施設を拡充、改良すれば水は確保できる。
◆渇水期のとき、下流域の流量確保のため利水にまわす水がないことも考えられる。本当に水が必要なときにダムから水がこない。お茶の防霜のための水は、渇水期の1~2月に必要だが、水の供給がないことが十分考えられる。
講演する福岡賢正さん
発会式後の懇親会(1993年8月8日 青井神社)
左から重松隆敏さん、一人おいて山下完二さん、緒方俊一郎さん